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Jamaica History ジャマイカの歴史


ジャマイカってどんな所?

カリブ海エリアではキューバとドミニカ共和国、ハイチに続く3番目に大きな島で、バハマ諸島、ケイマン諸島に囲まれた美しい島でもある。

ジャマイカのほぼ中央部には、標高2256mのブルーマウンテン山脈が連なり、その名の通りコーヒー産業も盛んだ。

また島には熱帯特有の植物が多く見られるため、原住民のアラワク・インディオたちは『ザイマカ/XAYMACA(木と水の大地)』と呼んでいた。 それが現在のジャマイカの名前の源ともなったのだ。

ジャマイカの歴史

ジャマイカが、かのコロンブスに発見されたのが1494年の5月4日。それからジャマイカの歴史が始まったといってもいいだろう。

驚かれるかもしれないが、その頃、ジャマイカには現在のジャマイカ人は誰一人として住んではいなかった。 現在のジャマイカ人は、植民地としての歴史を持ち、ジャマイカ独特の文化としてのちに形成されていくのである。

観光客からしたら、一見お気楽な世界に見えるかもしれないジャマイカの生活だが、バックボーンとして、苦闘の歴史があったことを忘れてはならない。 ここでのその歴史を簡単に振り返ってみよう。 ある程度の歴史を知ってからジャマイカに行けば、現地人の物の考え方が少しでも理解できるのではないだろうか。

1494年5月4日、コロンブスがジャマイカに上陸した。コロンブスはスペイン国王と王女の名の下にジャマイカを本国に併合した。 だが実際にスペインによる統治が始まったのは1569年のエスキヴィルの征服からだ。これの後146年間ジャマイカはスペインの植民地となる。 ジャマイカには当初アラワクと呼ばれるインディオが住んでいた。 彼らは平和的で激しい労働をする習慣がなかったが、スペイン人は奴隷として苛酷な労働を課した。 そのためわずか50年でおよそ10万人いたアラワク族は全滅。その代わりにスペイン人はアフリカから奴隷を輸入した。 これが現在のジャマイカ人のルーツなのだ。

1655年、イギリスがスペインに代わりジャマイカを支配するようになり、本格的な植民地支配が始まる。 そして1692年、都市が形成されつつあった当時のジャマイカの首都ボートロイヤルに大地震が起こり、首都は壊滅状態となってしまった。 18世紀初頭、奴隷制度に反対する運動がおちこちで起こり、1807年英国議会によってアフリカ、ジャマイカ間の奴隷貿易が廃止される。 それまで100万人を超える奴隷がアフリカから連れて来られていた。この時点でジャマイカには約32万人の奴隷がいたのである。

この頃、マルーンと呼ばれる黒人奴隷解放活動家たちは、中央山間部にこもり反乱を繰り返し始める。その運動が結実するのは1833年だ。 この年に奴隷制度廃止法案が英国議会で可決され、6歳以下のすべての黒人の子供は自由となる。 だが、まだ従弟制度は残されていたが、その後1838年8月1日にも従弟制度は廃止され、当時のジャマイカ人は完全なる自由を獲得することになるのである。

1842年ジャマイカ農業組合設立。1845年ジャマイカ鉄道開通。インドからクーリー(低賃金で働く人夫)が到着、アフリカ移民に代わる農園の労働力となる。 そして1865年モラントベイの裁判所で叛乱が起こる。これにより事態の終息のため英国王室が介入することに。 その後、比較的平穏な時代が続き、ジャマイカは都市としての機能を発展させていく。また多くの人々が自分の土地を得ることになる。 第一次世界大戦、第二次世界大戦によりジャマイカの貿易産業は打撃を受けることに。 しかし、工場機械工業の発展などによりジャマイカは独自の道を歩み始め、1961年英国に独立を願い出る。 そして正式に独立する日が1962年8月6日と決められることになる。ここから現在に至る真のジャマイカの歴史が始まるのである。

独立の日

1962年、英国の国旗が降ろされ、ジャマイカの国旗が揚げられた。8月6日、7日は国民の休日となる。 9月正式にジャマイカは国連に加盟。1969年には非核保有条約に調印。変動為替相場なども導入する。

民主社会主義が新しいジャマイカの政治哲学だという考え方も広まる。 政府は新米路線を取り続け、アメリカからの経済援助を受け、経済成長を図る。 だが、ジャマイカのボーキサイト産業は衰退し、観光中心の第三次産業へと中心産業を移行させることに。 またこの時期にレゲエ・ミュージックがワールドワイドに広がりを見せる。 学歴、教育の質の向上には現在も力が入れられているが、インフレは進み、下層階級の生活水準の改善はまだ先のことのようである。

ジャマイカの歴史を簡単に紹介したが、ジャマイカの歴史が、けして平坦な道ではなかったことが解る。 その中からジャマイカ独特の文化や芸術の発展があるのだ、ということを覚えておいてもいいのではないだろうか。 それにより、現地でのジャマイカ人たちの生活をもっと理解することができるだろう。